造物主の置手紙

Note of the Lifemaker

ピカイアに関する『ワンダフル・ライフ』の冤罪

これは2015年に放映されたNHKスペシャル生命大躍進」のおかしな点を指摘するまとめ記事です。番組内でピカイアが「人間の祖先である」と紹介された*1のに対して「人間(脊椎動物)の祖先はピカイアではない」と反論されています。

この「ピカイア = 脊椎動物の祖先」説について、しばしばグルード(Stephen Jay Gould)の著書『ワンダフル・ライフ』が広めた、と言われることがあります*2。ですが、私はちょっと違和感を覚えました*3。「ピカイア = 脊椎動物の祖先」説を広めた犯人は本当に『ワンダフル・ライフ』なのでしょうか?

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)

何はともあれ、『ワンダフル・ライフ』を読んでみることにしましょう。ピカイアは、最後の話題として494ページ以降に登場してます。ピカイア脊椎動物の関係について直接言及している所を探してみると、2か所見つけることができました。

〔サイモン・コンウェイ・モリス(Simon Conway Morris)〕〔……〕一つの確信を抱くにいたった。〔……〕ピカイア環形動物ではない。それは脊索動物であり、われわれ自身が属する門の一員であるというのだ。ということは、われわれの直接の祖先としては最古の化石生物ということになる。
『ワンダフル・ライフ』 494-495ページ(太字は引用者による。) … 引用①

もちろん私〔グルード〕は、ピカイアそのものが脊椎動物の実際の祖先だといっているわけではない。また、脊索動物に許されたすべての機会はカンブリア紀中期に生息していたピカイアにかかっていたなどと主張するほど愚かでもない。カンブリア紀の海には、いまのところはまだ見つかっていないが、ピカイア以外の脊索動物も生息していたにちがいないからだ。
『ワンダフル・ライフ』 496ページ(太字は引用者による。) … 引用②

ピカイアについて、引用①では「直接の祖先」と言っておきながら、引用②では「実際の祖先」であることを否定しています。「直接の祖先」と「実際の祖先」が異なるものであるとは考えづらく、矛盾しているように見えます。

ですが少なくとも、引用②がグルード自身の考えであることは間違いなさそうです(引用①はコンウェイ・モリスの考えなのでしょうか*4?)。要するに、グルードは『ワンダフル・ライフ』の中で「ピカイア = 脊椎動物の祖先」とは述べていないのです。

では、『ワンダフル・ライフ』は「ピカイア = 脊椎動物の祖先」説を広めた犯人である、なんて誤解が広まっている原因は私には分かりません。読者が本をちゃんと読まなかったために引用①の部分だけが広まってしまっ他のでしょうか?。あるいは、その説は本来別のメディアによって広まったのに、大ヒットして有名だった『ワンダフル・ライフ』に誤って結びつけられてしまったのかもしれません。

原因が何であるにせよ、ちゃんと原典に当たってみることは重要ですね。

あと、「脊椎動物の祖先はピカイアではなくミロクンミンギア(あるいはメタスプリッギナ)だ。」なんていう発言の扱いには注意しなければなりません。我々の親をずっとさかのぼっても、ミロクンミンギアやメタスプリッギナに行き着くことはほぼ確実にあり得ないからです。「祖先」という言葉が「直接の祖先」のみを指しているのか、それともステムグループの絶滅種まで含めているのか、判断する必要があります。


*1:この『生命大躍進』という番組は、同年に国立科学博物館で行われた同名の特別展に関連したものです。手元にその特別展の図録があるのですが、少なくともピカイア脊椎動物の祖先とは紹介されていません。一方、ハイコウエラの欄では「ハイコウイクティスなどとともに、脊椎動物の祖先とされる動物とみなされているが、未だ詳細は不明。」、ハイコウイクティスの欄では「脊椎動物とされ、現在知られている最も古い脊椎動物と考えられている。」とあります。ここから、ピカイアが人間の祖先であるという紹介は、NHKが独自に付け加えたものだと考えられます。

*2:上記のまとめの中にも登場しています。他には ピカイア - Wikipediaへんな古代生物 special edition - 北園大園 - Google ブックス など。

*3:『ワンダフル・ライフ』の主要テーマの一つは「進化の梯子」(「進化を「一直線の進歩」と捉える固定概念)の否定です。その否定のため、第1章ではヒトやウマの進化に関する多数の梯子図を批判しています。そんな『ワンダフル・ライフ』の中で、脊椎動物の「梯子」の上にピカイアを安易に位置付けることはあり得ないと感じました。

*4:他の可能性として考えられるのは、日本語訳に誤りがあるというものです。引用①と引用②に出てくる「祖先」は、原著ではそれぞれ「ancestry」「ancestor」と、異なる単語が使われています。もしかすると両者は異なる概念なのかもしれません。また、引用①の「最古の化石生物」は「the first recorded member」の意訳のようです。この「first recorded」を「最初に登場した」と解釈するか「初めて記載された」と解釈するかで、意味合いがずいぶん変わるように思われます。英語に詳しい方がいればぜひ教えていただきたいです。